特集:林竹二の描いた軌跡・・・ 学び続ける教師の原点②

教育

2019年11月27日

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前回からの続き。(1回目の記事はこちら

斎藤喜博との交わり

――次に斎藤喜博先生のことを伺います。斎藤先生はどのような方で何をされたのでしょうか。

斎藤喜博先生は、1930(昭和5)年に、群馬県で小学校教員となり、初任期から一貫して「授業の創造」に努めました。太平洋戦争当時、勉強なんか意味はない、子どもも「少国民」として戦争に協力しなければならない風潮がありました。それに対し、子どもは勉強して賢くならなければならないと、信念をもって学習指導に力を入れたのが斎藤先生でした。先生は、教材を人類の文化遺産と考え、文化を継承し、文化の力で未来につながる学力を切り開く授業を追究したのです。写実主義のアララギ派歌人であった先生は、とにかく事実をとらえることを大事にしました。教師はすぐ頭の中でこの子はこうだ、今の教育の流行はどうだと決め付けがちであるけれど、目の前の事実を自分の目で見て、事実を創ることを実践したのです。
 1952(昭和27)年に、島小学校長になると、以後11年間、事実をふまえて子どもの可能性を引き出せる教師を育てる仕事に力を注ぎ続けました。実践を先導した船戸咲子先生が、生きている子どもの姿を記録しています。一例として子ども同士のケンカについての考察が書き残されています。指導としてケンカは止めなければならないけれど、なぜケンカになるのか、子ども一人ひとりの心の動きを見る必要がある。事実をしっかりと記録し、子どもの問題を発見し省察するよう斎藤先生は教師を育てたのです。教師たちによって積み重ねられた記録を、研究集団として組織された学校全体で共有して、教師の専門性向上につなげました。教師を育てる卓越した力が高く評価され、斎藤先生は林先生のもとで宮城教育大学へ招かれることになるのです。

群馬県島小学校における教育実践記録

斎藤先生招聘をめぐる壁新聞


斎藤 喜博( さいとう きはく)
群馬県で小学校長として「学校づくり」に手腕を発揮
1974年、本学授業分析センター教授に就任

高橋金三郎との歩み

――展示では、高橋金三郎先生にも焦点があてられました。高橋先生はどのような方で何をされたのでしょうか。

 高橋金三郎先生は、もともとは東大を卒業して日立製作所に勤務された化学者でした。戦後理科教育に携わることになり、学校の教科書や授業に大きな問題があることを知り、改革に取り組みました。当時、高いレベルの科学を教えることは、エリート教育とされていました。しかし高橋先生は、すべての子どもに科学の本質を教える、しかもやさしく教えることが大事だと主張しました。そして、全国の学校現場の教師たちと一緒に極地方式研究会を立ち上げ、本質的でしかもやさしく、すべての子どもたちがわかるテキスト作りに力を注ぎました。テキストをふまえた授業の事実を検討する学習会も積み重ねました。
 先生はまた、林学長のもと、学生が教師としての力が付くように学べる宮教大とすべく、いくつか改革を推進しました。まず学ぶ空間です。3号館は西側の外階段のところは円形のステージになっているし、板張りで大きな鏡があってダンスのできる部屋も4階にあります。表現力を培おうと環境を整えました。それから、学び続ける教師を育てるために、教員も一緒に学問を深めなければいけないと、合同研究室という制度を設けました。教員が研究するスペースとゼミなどの議論のできるスペースを一体化した空間を作ったんです。さらに、1974(昭和49)年、実際の学校現場の課題を考察する臨床教育研究に力を入れ、授業分析センターを作りました。学校の教師の指導力を伸ばそうと、高橋先生は現職教育講座を精力的に開きました。それは、現職教員のための大学院を全国で一番最初に構想する動きにつながりました。大学で一生懸命勉強しても、学校現場で実際に子どもに教えるのはなかなか難しいですよね。子どもの内にある宝物を引き出すような授業はどうすれば創れるのか、問題に直面したときこそ本当に学ぶのです。「大学は二度入るところだ」と林先生は言いました。現職の教師が必要な時にいつでも大学へ戻って学べるよう、宮教大の改革を進めました。

学び続ける教師を育てる改革の足跡

授業分析センター研究紀要創刊号(1975年)


高橋 金三郎( たかはし きんざぶろう)
本学教授(1965-1980年)として理科教育の改善に取り組む
林学長のもと学生部長として大学改革を推進


そして未来へ

――私たちは今回の展示から何を学ぶべきでしょうか。

 林先生の授業に感動したからといって形を真似しても絶対うまくいきません。手法は、時代が変われば変わります。例えば今は当たり前のICTは、林先生の時代にはなかったわけです。大事なことは、時代の変化に対応して学び続ける姿勢、子ども一人ひとりの宝物を最大限引き出そうとする絶え間ない努力です。林先生も斎藤先生も高橋先生も、それぞれが子どもの事実をふまえ、それぞれの熱意で最適な形を追い求めたのです。若いみなさんも、まず目の前の子どもたちの事実をしっかりと見つめることから出発してほしいです。そして、子ども一人ひとりの宝物を引き出す授業を創るために、どんな教材がよいか、授業をどう組み立てるか、子どもと一緒に追究したいという思いが根本です。学び続ける教師を目指す意志と努力を大切にしてほしいですね。拠り所となる確かな事実が宮教大にはあります。

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